こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日。日本代表ゲンキポリタンです。
私たちはイベントやお祭りにワクワクします。非日常的な出来事だからです。
反対にルーティンワークに退屈を想像します。でもゲンキポリタンの特別な一日はルーティンワーク、毎日がお祭りです。そんなのお祭りではないと反論されそうですが、決めているのは自分ではないもともとのいのちです。
「もともとのいのち」って何?と思われるでしょうね。「もともとのいのち」に詳しいのが原始仏教。原始仏教はブッダが直に説かれた哲学的教え。
ブッダは「ブッダ自身を信じなさい」とも言わなければ「超自然の存在から教えを受けた」ともいいませんでした。」完全な学問です。哲学としての原始仏教に「し合わせ」に生きる方法を探ります。
ゲンキポリタン 10の約束
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もともとのいのち
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生き辛さの原因「潜在意識」を認識する
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考えるな、無意識にまかせる
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マインドフルネスで整える
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哲学する
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「ひたすら繰り返す」ルーティンワークを日常とする
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ループする煩悩製造システムを気にしない暮らし
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マトリックスから脱出する
原始仏教に学んだ「ゲンキポリタン10の約束」から、今回はマインドフルネスと深い関係にあるもともとのいのちについてお話します。
「もともとのいのち」は自由に生きたがっている
もともとのいのちとは、なんでしょう。
たとえば、源流から湧き出した水の一滴。滝を伝って流れ落ちて川の一滴になり、森林の木々を映して美しいエメラルドグリーンになり川を行きます。
やがて青い大空の下に進めばブルーの一滴になり、雨曇の下ではグレーになり、途中誰かに掬われてインクで洗われると紺色になりますが、やがて無色に戻ります。時々の光景で色を変えながら、旅を続けると、やがて海に出ます。
「もともとのいのち」は、一滴の水によく似ています。
自分とは言葉の上で存在しているだけで、言葉があるからあるだけです。
他者も同じです。人間とは37兆の細胞ネットワークをいくつかの管に包んだ生き物でなにひとつ思い通りにならないといってもいいでしょう。
ヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェの著書『「今、ここ」を生きる』に次のような記述があります。
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感情的な身体と脳の関係
『「今、ここ」を生きる』の記述を追ってみます。
その過程は、まず知覚から始まります。感覚器から脳へ情報が伝達されると、脳には対象の概念的な像が作り出されます。私たちは、いったん対象が知覚され、認識されると、感情的な反応が起こり、次にその感情的な反応が身体的な反応を生み出すのだと、私たちは思い込んでいます。
実際は、その逆なのです。
脳の視床が、新皮質など分析にかかわる領野に情報を送ると同時に、小脳扁桃にも「瞥戒信号」を送ります。これは辺縁系にある、胡桃のような形をした神経細胞の塊ですが、この小脳扁桃が、特に恐怖や怒りのような感情的な反応をつかさどっています。視床と小脳扁桃は互いに近くにあるので、視床からの警戒信号は、新皮質に伝わるよりも早く小脳扁桃に伝わります。信号を受け取ると、小脳扁桃は、心臓や肺、腕や胸、足などの主要な筋肉、そしてアドレナリンなどのホルモンを活発にする器官に対し身体反応の起動を要請します。
したがって、脳の分析をする部門は、身体的な反応が起きた後に、身体的な反応を感情的な反応として解釈するのです。何か怖ろしいものを見て恐怖を感じ、それから駆け出すのではありません。
何か怖ろしいものを見ると、アドレナリンが体中に充満して駆け出した後で、そうした身体的な反応が「恐怖」だと解釈するのです。
千分の一秒後に脳の全体が信号に追いついたとき、自分の反応が適切であったかどうかを判断し、その状況にあった行動に自分を綱節しなおすのです。
最近になって、このようなことが科学的な実験で確認されるようになりました。
たとえば恐怖、嫌悪、怒りなどの感情は、右前頭葉のニューロンが活性化する形で現れます。
よろこび、愛、慈悲、自信などの場合は、左前頭葉が活性化するようです。
場合によっては、自分の反応を評価するという能力が抑制され、私たちは何も考えずに状況に反応します。このような場合の小脳扁桃の反応は非常に強力なので新皮質など高次の回路をショートさせてしまいます。
このような「緊急対応」メカニズムは生存のため非常に重要です。
しかし、こうした小脳扇桃の神経細胞の型は、非常に簡単に、あまり危険でない場合でも、起動してしまいます。
このような場合、私たちの「今」起きている出来事に対する知覚を歪めてしまうことがあるのです。
「もともとのいのち」で100年ライフを生きる
いかがでしょう。以上の文章は「感情」についての記述ですが、『ヒューマニエンス 〜40億年のたくらみ〜』で紹介された「意志」についても同じことが言えます。
この信号こそ主体性のある「もともとのいのち」です。
脳の全体、判断する自分、調節しなおす自分は、理屈を超えて生きようとしている本来の自分。「もともとのいのち」が自分の意思より先に活動しているのです。
長い100年ライフを生きる上で「もともとのいのち」とどうつきあうか、つきあい方の違いが人生の違いになるのです。
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考えない。すでにあなたは知っている
人生は選択の連続という言葉があります。
ほとんどの人は自分で選択していると思っています。
しかし、先に述べたように「もともとのいのち」が選択しています。
選択がうまくいけば、自分の判断が良かったと思い、うまくいかない場合には、自分に批判的になりますが、「自分を満足させなければ」という執着に支配されているからです。
良いも悪いもありません。
諸行無常、人生はジェットコースターのように変わり続けるものです。
良い判断をした後に間違った選択をする。かと思えば間違ったはずの選択が功を奏す。
人生はジェットコースターのように移り変わる。
「いま、ここ、この瞬間」の連続があるだけで、自分が支配できるのは「いま、ここ、この瞬間」しかないのです。
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自分を責めない。
「私は選択を間違えたので気分が悪いので今は「し合わせ」な気分でない。自分はいつだってこんな調子だから「し合わせ」になれない」というように・・・こんな風に考える習慣が身についていたら、一生ストレスまみれです。
良くない自分も、良い自分も、自分が作り出したものでしかありません。煩悩は、私が頭をはじめ身体の中で、身体を使って勝手に創りだした幻想ストーリー、映画「マトリックス」があっと驚く手法で描き出した「仮想空間」での出来事なのです。
仮想空間を「ああでもない」「こうでもない」と行ったり来たりウロウロ彷徨っているだけのことです。
一瞬、一瞬をひたむきに生きる「もともとのいのち」にまかせられるように、「もともとのいのち」になりきる習慣を大切にします。
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原始仏教に立って「中道」の精神で、煩悩を断つ
原始仏教が打ちたてたように、生きるとは苦しみ以外のなにものでもありません。
苦しみの原因を生み出しているのは「うまくやりたい」と願う執着です。
原始仏教の出発点は、「一切皆苦」と知ることから始まります。
人生は苦ばかりだとブッダが身を以って知ったことから始まったのが仏教です。
「一切皆苦」・・・人生は思い通りにならないという意味です。
「一切皆苦」=人生はデコボコ道。
苦がないないように、歩こうとしても、すでにデコボコなのだからできない。
「一切皆苦」と説いておられるのは、せめて舗装して歩けるようにしようではないか、私たちには「智慧」があるのだからと説いておられるのです。智慧こそは舗装工事なのです。
では、なぜ苦しみが生まれるのでしょうか。
ブッダはこの原因を、「諸行無常」にして「諸法無我」という真理にあると考えます。
「諸行無常」・・・すべてはうつり変わるもの
「諸法無我」・・・すべては繋がりの中で変化している
これらの苦しみから解放されるには、執着を捨てなさいと、ブッダは説きました。
正しく理解したうえで、世の中を捉えることができれば、あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定した状態になる。つまり、苦しみから解放される、とブッダは説きました。
これが、中道の先に「涅槃寂静」があると説きました。
「涅槃寂静」・・・仏になるために仏教が目指す”さとり”です。
このように原始仏教では、生きるとは苦しみを前提としています。
「し合わせ」になるには、苦と快楽の間にある中道を実践します。
苦しみを生み出す欲や執着心を捨てなければならないと説きます。
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まとめ
「し合わせ」には、一時的な「し合わせ」と長期的な「し合わせ」があります。
感情にも、一時的な感情と長期的な状態があります。
- 本心はもともとのいのちが知っている
- マインドフルネス瞑想は対象になりきるトレーニングがもともとのいのちを引き寄せる
- 考えないようにするには、行動を優先する
- 自分で「し合わせ」を妨害してしまう癖を取り除くマインドフルネス習慣を身につける
- 大事な場面で「自分には早く楽になりたいので、本心を無視して白か黒かを急ぐ癖がある。」と認識する
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