重閣講堂は、ブッダが最後の説法である「三十七菩堤分法」を説かれた場所として有名ですが、従来からブッダは繰り返し重閣講堂を使用されています。
講堂とは、一般的に講演や講義などを行ったりする建物または広間のことですが、修行僧を集めて繰り返しお話されたようですから、正確には「伽藍」と言った方が正しいのかも知れません。
伽藍は、「仏道の修行者が集って修行する清浄で閑静な場所」という意味です。
現在は寺院にあるお堂や塔、門などの建築物の集まりを伽藍と呼んでいます。
重閣講堂
重閣講堂が含まれる天竺五精舎(てんじくごしょうじゃ)または天竺五山(てんじくごさん、ござん)とは、古代インドにあった初期仏教の5つの精舎(伽藍・寺院)をさします。古代インドとはインド地方のことで、位置が現在のインドと違っています。
五精舎あるいは五山の名称は、翻訳なので、書物によって違いがあります。
- 竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)
- 祇園精舎ぎおんしょうじゃ)
- 大林精舎(重閣講堂、彌猴池精舎とも呼ばれます。)
- 誓多林精舎(せいたりん)
- 那蘭陀寺(ナーランダ)
仏様と仏壇
ご仏壇に手を合わせて拝むとき、「仏様」が浮かぶます。
この仏様とは、誰のことでしょう?
仏様とはブッダのことです。
ブッダ(buddha)の語源は「知る」という意味で、「目覚めること」「目覚めた人」のことです。
日本では死んだら仏様になると言われてきたので、仏壇に祀られているのがご先祖さまだと思っている方とお釈迦様だと思っている方がいます。
日本的にはどちらも同じですね。
日本最古の仏壇は、法隆寺にある国宝玉虫厨子が日本最古の仏壇と言われています。
686年に「諸国の家ごとに仏舎を作り、仏像や経巻を置き、礼拝供養せよ」という天武天皇の勅が出され、これが日本の仏壇の始まりで、仏教より仏壇が早く浸透したのは意外ですよね。
釈尊の弟子たち
重閣講堂で説かれた真理のひとつ。
「弟子たちよ、わたしは、過去にさとりを得た聖者たちがたどった古道、古径を発見した。過去の聖者たち、つまり諸仏がたどった古道、古径とはなんであろうか。それは、かの八正道である。わたしは、この道に随っていくうちに老死の苦を知り、老死の苦が生じる原因を知り、老死の苦の滅を知り、ブッダとなったのだ。これを善男子や善女人たちに教えたので、この八つの実践法はしだいに広まり、多くの人に知られ、つぎつぎと説きつがれるようになったのである」(相応部経典)
仏教とは 釈尊(お釈迦様)が35歳のときに仏(仏陀)という大宇宙最高の悟りを開かれてから、80歳でおなくなりになるまでの45年間に蓄えられた知恵(教え)です。
弟子とは、師が進んできた道を追体験することで、得る立場にある人を指します。
「自灯明・法灯明」
「自灯明・法灯明」として有名な個所。
「アーナンダよ、今でも、またわたしの死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、かれらはわが修行者として最高の境地にあるであろう」
大切なのは「正しく教えを実践する自分自身」をたよりにしていくのが道になること。
教えである真理を実践することに裏打ちされた自分自身をたよりにすることが最高の道です。
つまり、弟子のアーナンダに説かれたように、現代に生きる私たちもまた、自灯明・法灯明を実践することで、”釈尊の弟子として”最高の境地に到達できるのです。
関連用語
まとめ
釈尊(お釈迦様)が35歳のときに仏(仏陀)という大宇宙最高の悟りを開かれてから、80歳でおなくなりになるまでの45年間に蓄えられた知恵(教え)です。
弟子とは、師が進んできた道を追体験することで、得る立場にある人を指します。現代を生きる私たも、お釈迦様の道を追体験することで、重閣講堂で学んだ修行僧と同じように、私たちも「釈尊の弟子」として最高の境地に到達できるのです。
コメント