こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日日本代表ゲンキポリタンあなたの願いを実らせるNaoman-Minoruです。
SDGs(Sustainable Development Goals)に関心がありますか。
持続可能な社会のためにSDGsは避けて通れないですよね。
「心と身体を整える智慧」を持っている「唯識」は、SDGsにも、現代のシステム思考にも通じるので是非ビジネスマンにも理解していただきたい考え(哲学)です。
SDGsと生産性は深い関係があります。優秀な働き手を集めるにも、良質な顧客を集めるにも、哲学のない会社(店舗)は思うように進めません。なぜなら哲学のない会社に未来はないと感じるからです。
移り変わりの速い社会にあって、未来を切り開くには、揺るぎのない方向性となる羅針盤が必要です。繋がりたいと意識すればするほど繋がれないのは意図した通りに進まないからです。意図するのではなく自然体で通わせるのは、どのような場面でも自分と相手を高めようとする人格の力です。嘘のない時間を刻み続ける者こそがSDGsの壁を突破します。
「心と身体を整える智慧=唯識」がSDGs突破力になる理由をご説明します。
無邪気な子どもの心こそ、SDGs突破力
いまここを生きる子どもは、お互いの中に共通点を探り発見して無邪気に遊んでいます。
これこそが本来の人間です。
根源的ないのちに触れることができる自由で無邪気な子どものこころは、そのままSDGs突破力です。それは自然に先天的に子どもに宿っています。
しかし間違った教育が行われると親にとって都合のよい従順な子どもを育てることになります。
抑圧された子どもは認知の歪みを持ってしまい従順な子どもを演じながら、社会にそぐわない独特な考えを強めてしまいます。
その結果、社会との折り合いが悪くなり、教育学習、愛情など、基本的な問題で躓きやすくなり、負のエネルギーを背負ったまま社会生活を送ることになります。
酷い場合には「病名」がつく場合もあります。
弱体な組織には従順な人が多く集まり業績にも悪影響がでます。低賃金を余儀なくされます。あるいは失業という事態を招きます。
これにストップをかける力、SDGsを成功に導く力が「唯識の哲学」です。
個性を伸ばせ、男女平等、言葉だけが先行する前に、それらの素地を育むのが唯識です。
システム思考を知るエピソード
SDGsはシステム思考と切っても切れない関係にあります。
システム思考も、唯識でいう縁と因に深い関係にあります。
問題解決が縁ならシステム思考は因になります。
こんなエピソードがあります。
ある国の王様が部下に、生まれながらにしてのある国の王様が部下に、生まれながらにしての盲目の人を6人連れてきなさいと言いました。
部下は言われた通り盲目の人を6人連れてきます。
王様は「本当に生まれながらの盲目の人か?」と確認して、部下に次の指示を与えました。
言われた通り、部下は盲目の人の前に象を連れてきました。
次に王様は、「盲人たち各人に象とはどんな動物か、象の一部分だけを教えなさい」と部下に指示しました。
部下は、ひとりひとりに、象の全体を教えないまま、鼻、足、耳など象の特徴的な違う部位だけをバラバラに教えました。
そして、王様は、象とはどんな動物かを互いに議論するように言いました。
6人の盲人たちは、誰一人として象の全体を知らないまま、違う一部だけを知った状態で、象について語り始めました。
すると、盲人たちは、自分の教えてもらった象こそが、本当の象だと互いに主張を譲らず、ヒートして殴り合いにまで発展してしまいました。
王様はその様子を見てたいへん喜んだそうです。
「真理を知っていると議論をする人は、真理の一部だけを知っているから議論するのであり、真理を悟った人は議論はしない」というお釈迦様の教えを的確に伝えています。
このエピソードは、真理についてのエピソードです。
お釈迦様の教えと、システム思考をする難しさを表現しています。
象のことは知っているが、象を理解しているわけではない。
「すべの物事には原因があって、原因なしに生じるものはない」・・・・ですが、因果の連鎖、つまり「これが原因だ」と切り取って差し出す難しさを、お釈迦様が本当に伝えたかったことではないでしょうか。
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潜在意識(深層心)と顕在意識(表層心)
上述したエピソードは、『知ってはいるが、真理(=大宇宙)を理解しているわけではない』ことを伝えているのではないでしょうか。
人には潜在意識と顕在意識があります。自覚できるのは顕在意識だけです。潜在意識はひとつではなく、潜在意識も何層にもなっていて浅いものもあれば深いものもあります。
自分を動かしているのはすべての意識です。言葉にできる意識はたがが知れています。
SDGsに決定的な影響を与えているのは「潜在意識(=深層心)」です。
目的が何であれ、豊かな人生を過ごすには「潜在意識(深層心)」に手を差し伸べることが欠かせないのです。
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心と身体を整える智慧「唯識三十頌」に学ぶ
「心と身体を整える智慧」を持っている「唯識」は、法相宗の大本山とする奈良・興福寺を拠点にして全国に教えを広めました。
興福寺にある北円堂の堂内には国宝「弥勒如来像』の両脇に国宝『無著・世親立像(むじゃく・せしんりゅうぞう)』が安置されています。(春・秋に一定期間公開されます)
無著・世親は、法相教学を確立したインド大乗仏教を代表する僧侶です。
兄の無著が唯識の基礎を築き、弟の世親が「唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)」にまとめ、のちに法相宗の経典になりました。
唯識を簡単にいうと
この世(=法)は、思い通りにならない。
本当の自分(=我)なんてどこにもない。
言葉の上であるだけだ。
いま、この思考の幻から抜け出そう。
煩悩を持った状態(=不健康)が思考の幻に囚われた状態です。
そもそも自分そのものが(言葉の上で「あるだけ」なので)実際にはいないのですから。
生まれただけではなくまとわりつき苦しみ(=不健康)になります。
煩悩は、潜在意識の底の底、深層心(=阿頼耶識)にあった執着の種子が表層に表れたものです。
『まとわりつく苦と生きる「私」の仕組み』を解いた唯識
ブッダが直に説いた原始仏教は宗教ではないので面白いです。
満たされているのに空しいというのが出発点です。
これは現代のアメリカに、日本に、やがて、すぐ儒教の国、中国全土にも蔓延することになるでしょう。
仏教の原点は「どうしょうもなく、身近にあり、影のようにまとわりつく、苦をどう解決するか」というものです。
原始仏教から発展した教えに唯識とは、「唯(ただ)識のみが存在する」という教えです。
識とはなんでしょう。
唯識とは、一切は心の本体である識によって現し出されたものであり、八種類の識によって成り立っているという考えです。
識以外に実在するものはなく、この識も誤った分別をするものにすぎず、それ自体存在しえないとします。唯、八種類の識のみがあるという大乗仏教の見解(瑜伽行唯識学派)です。
八種類の識とは、眼識(げんしき、視覚)・耳識(にしき、聴覚)・鼻識(びしき、嗅覚)・舌識(ぜつしき、味覚)・身識(しんしき、触覚など)と呼びます。これを総称して「前五識」と呼びます。その次に意識、つまり自覚的意識が来ます。六番目なので「第六意識」と呼ぶことがあります。前五識と意識を合わせて六識または現行(げんぎょう)といいます。
その下に末那識(まなしき)と呼ばれる潜在意識が想定されており、寝てもさめても自分に執着し続ける心と位置づけされています。
熟睡中は意識の作用は停止するものの、その間も末那識は活動し、自己に執着するといいます。さらにその下に阿頼耶識(あらやしき, ālaya-vijñāna)という根本の識があり、この識が前五識・意識・末那識を生み出し、さらに身体を生み出し、他の識と相互作用して我々が「世界」と呼ぶものを生み出しています。
その「世界」は、縁起で成立しているのであって、すべては現象でしかなく実体はなく、人が八識で認識しているだけであり、現象は転変を繰り返し、瞬間、瞬間に消え、心の外に事物的存在はないと考えるのが唯識です。
実体としてあるのは、ただ「もともとのいのち」。苦も楽も自分が作り出したもの。
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正聞熏習(しょうもんくんじゅう)
なぜ思考によって人は苦しむのか。唯識では、その理由を3つ挙げています。
- 感覚器官がたえず働く(=了別境)から。
- 自我意識によって世界と自分を眺める(=思量)から。
- そもそも私たちは思考する存在(=異熟)から。
「思考する存在」というのは決定的ですね。
心臓が動いているからというのに等しい気がします。
では対処方法はあるのでしょうか。
唯識には「正聞熏習」という言葉があります。
正聞熏習(しょうもんくんじゅう)とは、正しい教えを繰り返し聞いて、阿頼耶識(あらやしき)にある無漏(むろ)の種子(しゅうじ)を成熟させるために、薫習していくことです。
種子とは、植物の種と同じ意味ですが、いうなれば「原因」です。
無漏(むろ)とは、煩悩 (ぼんのう) のない清浄な世界のこと。 悟りの境地。ブッダのいう涅槃ですね。
涅槃寂静に辿り着くのが修行の目的ですが、その方法が説教を聞く、経典を読む、瞑想する、労働する・・・日常のすべてが修行です。
つまり薫習の「習(種子)」です。
薫習とは、香が物にその香りを移して、いつまでも残るように、みずからの行為が、心に習慣となること。つまりルーティンワークになるまで繰り返しを徹底することです。
重要なことは、その日常をどのようなあり方で、捉え方で過ごすかという課題です。
真理は作るのではなく、すでにある
本当はみんな生きたくて生きているのに、「生活があるから」「生活のために」と働くことも、生きることさえ、人のせい、あるいは、なにかのせいにします。少なくとも事実は生きたくて生きているのです。
なぜ他に押し付けるのでしょう。「生きたい」と言わずに「生きなければならない」というのでしょう。「生きるために生きている」からです。で、あるなら「楽しく生きるために生きている」とか「あれをやるために生きたくて生きている」といえばどうでしょう。
唯識を知って、縁と因、縁起に身を委ねると、堂々と言えるようになるのはもちろん、本気でやりたくなります。
- 人は誰でも一人一宇宙に生きています。(目で見えない世界です)
- 一人一宇宙が連鎖して大宇宙を形成しています。(目で見えない世界です)
- 誰も宇宙の外に出ることはできません。誰も入ることもできません。
- 宇宙の外に出られないのは、悩んでばかりいる「自我」があるからです。
- 宇宙とは「もともとのいのち」つまり本来の自分そのものです、
- 宇宙は目には見えない世界です。
- 肉体など目に見える世界は、心など目に見えない世界に包まれています。
- 自分と言ってる「自分」は目に見える世界にいます。
- 自分の心と考える心は見えないので、自分のものと思い込んでいるだけです。
- 真理(因果の道理)はそこ(大宇宙)にあります。つまり「あなた」です。
- あなたは大宇宙そのもの、大宇宙のこども、宇宙の中心です。
- 見えない世界は言葉にできませんが、感じることはできます。
- 目に見えない世界(宇宙)は、他者(宇宙)と繋がる、繋がっています。
- 真理は、注意深く、丁寧に発見することが大事になります。
- 真理とは因果の道理、つまり原理原則であり、他ならないあなたもそうです。
- 真理は高みへの道標です。(悟った人とはそのことを伝える人です)
- 真理は作るのではなく、すでに、そこにあります。あなた自身だからです。
- マインドフルネスは大宇宙の中心に入ることです。(それになりきること)
一体化とは、「それ」になりきること。つまりすでに言葉の世界、見える世界にいないことを意味します。人生100年時代のマインドフルネス実践講座
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四諦(したい)の意味
「苦」を解決したかった、お釈迦様が、一番伝えたかったことは、一番最初に説かれた「四諦(したい)」です。
「苦」であるという事実を知る、それが理性です。理性だと知る能力が智慧を咲かせます。
苦を客観視し、その目線で自分を直視し、俯瞰する能力こそ仏教の智慧であり、私たちの智慧です。それはそのままSDGs(Sustainable Development Goals)にもあてはまるのではないでしょうか。
四諦(したい)は、
- 苦諦(くたい)
- 集諦(しったい)
- 滅諦(めったい)
- 道諦(どうたい)
苦諦(くたい)とは、苦しみという真理(あること)
集諦(しったい)とは、苦しみの原因があるという真理(あること)
滅諦(めったい)苦しみの原因がなくなる真理(あること)
道諦(どうたい)とは、苦しみの原因がなくす方法がある真理(あること)
苦しみに対する私たちの概念とお釈迦様では、他のことと同じで真逆です。
お釈迦様にとっては、楽はなく一切が苦しみなのが真理です。(苦諦)
私たちは、苦はあってはならないもので、楽であるべきだと考えます。
なので、私たちは苦しみの原因はあってはならないもので、
お釈迦様は、苦しみの原因はあるのが真理になります。(集諦)
また私たちは苦しみの原因がなくなることはないと考えますが、
お釈迦様は、苦しみの原因がなくなるのが真理だと説かれます(滅諦)
さらに私たちは、戦争や環境問題を前にして苦しみの原因がなくす方法がないと考えますが、お釈迦様は苦しみの原因がなくす方法があるのが真理になります(集諦)
さて、『「一切皆苦」と言ってたのはお釈迦様じゃないのか、おかしいだろう?』と思いませんか?
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「一切皆苦」の意味
「一切皆苦」の捉え方に間違いがあるのです。
「一切皆苦」はネガティブな意味ではなく、「人生はデコボコ道だから面白い」ということなのです。
日本的な葬式仏教の背景にある『「死」や「別離」の悲しい概念』とポジティブでダイナミックで概念の違いです。
環境問題をはじめSDGsの課題に目を転じてみましょう。
自然災害の猛威が毎年、驚異を増やしています。
誰の目にも、異常気象は明らかです。
異常気象は、これまでの日本的な暮らしの価値観を根底から覆す勢いで激しさを増しています。他人事ではないと実感しているなら、暑いからエアコンを使い、ますます暑くなるから、ますますエアコンを使うという地獄にまっしぐらの負の循環を真剣に考えるでしょう。
- 苦諦(くたい)
- 集諦(しったい)
- 滅諦(めったい)
- 道諦(どうたい)
という四つの諦にこめられたシステム思考に注目するはずです。
私たちは「環境問題」は知っているが、「環境問題」を理解していない人もいれば、SDGsを意識して行動する人もいます。
「滅諦」(=苦しみの原因はなくなる真理)を信じて、トライ&エラーを繰り返し、勉強をして原因をなくそう行動とする人もいます。
お釈迦様は遺言のように、四諦(したい)を現実にするために、八つの正しい行いを説いた「八正道」を重閣講堂にて説示されたのです。
二分法的思考を捨て「無分別智」を生きる
唯識の大きな特徴は、「無分別智」にあります。
一般に分別をつけることは、成人として良いこととされていますが、唯識では「無分別」を推奨しています。
唯識でいう「無分別」は「あなたとわたし」というように「二分法的思考」しないことです。
わたしは「あなたになりきって」と分け隔てしない考えです。
いま、ここ、なりきって・・・自分とは、自分と他者というように他者があるから自分も存在するという自分です。他者になりきれば、自分もいなくなります。施す者と施される者という対立した関係はなくなります。これが「無分別智」の智(=智慧)です。
唯識の教える言葉の上で存在しているだけの自分などなりきれば消えてなくなる。という次第です。
白か黒か、全てか無かの「二分法的思考」ではなく、ブッダの教えである中道、中庸を知ること、白黒だけではなくグレーもあることを知ることは、人生を豊かにすると考えられます。
「二分法的思考」にストップをかけるのが「無分別智」というあり方です。
なんのための「無分別智」なのか。「無分別智」は「四諦」から救う道なのです。
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「もともとのいのち」がSDGsをゴールに突き進む
自分という存在は言葉の上であるだけだと唯識は説きます。
では、ここにいる自分な何者だとなります。
ここにあるのは、「もともとのいのち」
脈々と受け継いできた根源的ないのと、そのもの。
そのいのちは37兆とも60兆ともいわれる細胞のネットワークによって創られた身体とともあります。どれひとつとして「自分」の思い通りにはなりません。
その細胞はどこからどのようにしてやってきて、ここにあるのか、未だに謎だらけです。
唯識では、実在する自分は八識のみだと説きます。
末那識、阿頼耶識に潜む煩悩の種子を『正聞熏習(しょうもんくんじゅう)』で焼き尽くして、煩悩の止まらない負の循環をストップすれば「四諦」を止めてSDGsに突き進みます。
具体的にはひとりで多くの人がライフプランにまっすぐ進むことができます。
SDGsが訴える最大の課題は「貧困」です。
貧困の原因には「愛情の欠落」「ライフスキルの未熟さ」「悲劇的な子育て」「争い」などがあります。これらはお釈迦様の誕生前から、地獄の循環を繰り返しています。そしてようやく世界の共通認識としてSDGsを掲げるようになりました。これだけでも大きな進歩です。
まずは「もともとのいのち」のあり方に注目して「貧困」の原因である「愛情の欠落」「ライフスキルの未熟さ」「悲劇的な子育て」を防止する方向に進みましょう。
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まとめ
「もともとのいのち」とは、阿頼耶識すなわち「一切種子識」を持たない「いのち」です。
仏教は「苦」とどのように生きていくかを教示してくれる哲学なので、苦が前提にあります。唯識は阿頼耶識すなわち「一切種子識」に注目しています。
「一切種子識」は苦のみならず、一切の存在を生じる八識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識)の働きに注目します。
- 過去の業の結果を貯蔵する(阿頼耶は蔵の意味があります)
- 現在と未来のすべての存在を生じる
- 肉体を作り出し、それに生理的に維持している
- 自然を作り出し、それを認識し続けている(自然の中には生命力も含まれます)
- 生死輪廻の主体となる
以上の内で、自然には表層心がとらえる自然と、阿頼耶識が深層心で認識し続けている対象の自然があります。阿頼耶識は自然のみならず自分の身体、身の回りのもの、こと、さらに表層心にある六識つまり一般に心と呼んでいるもの、これらすべてを生じる根本的な心です。
この根本的な心が37兆のネットワークでできあがった「自分」に流れ込んで根源的ないのちを作っています。もともとのいのちとは阿頼耶識すらないいのちです。
大企業は豊富な資金で「マインドフルネス講座」などを導入することができますが、本当に必要な人にはそのチャンスもありません。
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一般社団法人「いきいきゴエス協会」では、「マインドフルネス講座」「唯識」「ライフスキル」「ライフプラン」を通じてSDGs(Sustainable Development Goals)に取り組んでいます。
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