「一切皆苦(いっさいかいく)」・・・・人生は思い通りにならない
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」・・・・すべてはうつり変わるもの
「諸法無我(しょほうむが)」・・・・すべては繋がりの中で変化している
「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」・・・・・死んだ後の世界。静かで何もない。
どの言葉もネガティブな印象を受けますが、アメリカン仏教ではどれもポジティブな印象に変わるのはそもそもの理解が違うからでしょう。
悟りとは、世界を見る本当のあるがまま、あの世界を見る目が開いた状態のことです。
「諸法無我(しょほうむが)」とは
全てのものごとは影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、他と関係なしに独立して存在するものなどない、という真理です。
自分のいのちも、自分の財産も、全て自分のもののように思いますが、実はそうではありません。
世の中のあらゆるものは、全てがお互いに影響を与え合って存在しています。
自然環境と同じように、絶妙なバランスのうえに成り立っているのです。
自分という存在すら主体的な自己として存在するものではなく、互いの関係のなかで”生かされている”存在であると気がつきます。
慈悲と共感
「諸法無我」をもう少し掘り下げてみましょう。
諸法無我の核心は「慈悲」です。
慈悲とは、
- いつくしみ、あわれむ。
-
仏教用語で、苦しみを取り除き楽しみを与えること
仏教では「慈悲」を「慈の心」と「悲の心」をそれぞれに表現しています。
「慈の心」とは、「抜苦(ばっく)」といい、「誰かの持つ苦しみを抜きたい(取り除きたい)」心です。
「悲の心」とは、「与楽(よらく)」であり、「相手に楽しみを与えてあげたい」心を表します。
つまり慈悲とは「共感(きょうかん)」のことです。
共感=エンパシー(empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することです、
慈悲の瞑想
慈悲(=共感)を理解する上でも、瞑想を理解する上でも、参考になるお話をします。慈悲も瞑想も現代人の日常生活からすれば、なんとなく場違いな印象を受けます。
- 瞑想は心や感情を充電する作業です。
- 慈悲は心の取り扱い方です。
たったそれだけのことですが、人は自分のイメージできないことには構えてしまいます。しかし充電したものを正しく使うことができないと故障の原因になります。場合によっては他者に害を与えてしまうこともあるかも知れません。
ブッダの教えはすべて知識ではなく、実践することで会得できるものです。つまり生きるという場で実践して会得できます。
充電した自分にはエネルギーがあります。そのエネルギーを使って他者に慈悲(=共感)をもって理解し、温かみのある接し方をします。その根底には自分も他者も同じ願望をもっているという理解があります。その共感力が相手に伝わると相手もあなたに同様の反応を示します。
こうして人はそれぞれに一人一宇宙でありながら、共感を通じてつながりができます。共感によって心が開かれると、言葉を超えた空間が広がることでつながりは強くなります。
言葉は伝えやすい利点がありますが、あなたと私というように二分化法思考に陥り対立してしまうことが少なくありません。
システム思考と共感のない「価格競争」
競合と価格競争に陥る原因に「共感の不足」があります。
なぜ相手は「価格を下げるのか=売りたい=儲けたい」というだけでは、解決の糸口にさえたどり着けないことがあります。自分と他者が繋がらないからです。
なぜ価格を下げてくるのでしょう。
はっきりしているのは、相手が競合他社を脅威に感じているからです。
それ以外にもあるでしょう。
「システム思考」を働かせ見ましょう。
ここで注意したいのは誰のためにもならない不毛の価格競争です。
行くつき先はステークホルダーの誰も望んでいない利益を最小化し、雇用を減らし、持続可能性のない世界に加担することです。
ここには慈悲(=共感)が一切ありません。
にもかかわらず暴走してしまうのは「思い込み」「決めつけ」つまり認知の歪みの結果です。
もし、他者を思いやる「慈悲(=共感)があるなら、価格を下げて対抗してくる気持ちを察してみます。
リーダーシップを発揮して、価格を下げる以上に持続可能な効果的な方法があることを証明してあげることです。
もっともそれを示せるには、自社内で慈悲の瞑想が日常化している必要があります。
諸法無我を逆回転させるのも自分の力
「諸法無我(しょほうむが)」とは、他者と喜怒哀楽の感情を共有することで、つながり変化することなのです。
私たちが、今回の新型ウイルス騒動で中国の影響を受けて死者を出し、仕事を失い、悲惨な体験をするのも、「諸法無我」の典型的な体験です。
しかし、慈悲の瞑想によって、諸法無我を逆方向に回転させることもできるのです。
関連用語
まとめ
「諸法無我(しょほうむが)」・・・・すべては繋がりの中で変化しています。
ネガティブなネットワークからはネガティブなことしか起こりません。
ポジティブなネットワークからはポジティブなことしか起こりません。
要はひとり、ひとりのあり方(=原因)の結果でしかないのです。
大切なのは随所主となれば、主体性です。
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