こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日日本代表ゲンキポリタンあなたの願いを実らせるNaoman-Minoruです。
玄奘三蔵法師がインドから経典を持ち帰り、その翻訳に生涯を捧げた「唯識(ゆいしき)」は般若心経としていまに生きています。無著・世親の兄弟僧によって法相教学として確立した「唯識」の教えは、フロイトにも受け継がれ無意識の原点になりました。それらは人生100年時代をライフシフトする個人事業主の心の支えとして脚光を浴びだしました。仕事の悩み、恋の悩み、唯識が解決します。
なぜ、いま、2600年も以前の「唯識」の教えが有効なのか。因果の仕組みを「唯識」が紐解きます。
『唯識(ゆいしき)』とは?
瑜伽行唯識学派=法相宗大本山奈良興福寺を通して日本に広がりました。
唯識の教えは、難解ですが、般若心経に生かされています。
般若心経は簡略化されているので、比較的わかりやすい教えです。
心理学的には100年を生きるライフスキルの源であるともいえます。
ここでは基本である唯識の教えに則って節毎します。
なぜいま唯識なのか?理由はあなたの生きづらさがどこからきているのかを解明してくれるからです。「生きづらさ」のせいで、自分の持つ力を100%発揮できずにいるからです。自分の持つ力を100%発揮すれば、80%でも発揮できればもっともっと自由に遠くまで行けるからです。
唯識は「現代を主体的に生きる人の武器」となる教え
答えはシンプルです。ワークシフトしなければ100年を生き抜けないからです。漫然と未来を迎えようとする人は。孤独で貧困な人生が待ち受け、主体的に築く未来には自由で創造的な人生が待っているからです。あなたはどちらを選択しますか?
正しい選択をするには「孤独との向き合い方」が決め手になります。
自己否定感が強く。孤独に脆い人は目先の快楽に溺れやすく、自己肯定感が強い人には、自分を信じて耐え抜く力があります。解っていてもできないのが人間であり、人間であることが原因となって悲しい現実を引き寄せます。
これを科学的に説いたのが「唯識」です。
ただ説いたのではなく、真理を自分のものとすることで生きる武器を手に入れることができるのです。テコとなる智慧の力です。人は非力ですが、テコを活用すれば思い荷物も待ち運びでりきます。
『唯識』が6つのスキルをサポートする
人生は親から子どもへ受け継がれます。親の生き方から子どもは学びます。昭和と違って自立、自律が重要さを増した令和の時代は、親のあり方は子どもに影響します。
昭和の高度成長時代は、大量に高速バスで搬送してくれた時代でした。みんながバスの乗り込めば高速で目的地に運んでくれました。平和ボケしていてもゴールまで安全安心にたどり着けたからです。しかし令和の現在は違います。
変化に対応し続けないと企業自体の存続が難しくなり、併せて終身雇用が難しくなり、個人事業主が増殖する時代、iDeco、NISAが年金に取って代わる時代は、けものみちを行くがごとしです。
獣道を行くのは大変ですが、ルネ・デカルト(1596-1650)が『方法序説』で唱えた「困難は分割する」を実践すれば6つのスキルに分割できます。
- 人生を生きる個人としてのライフスキルが備わっている、
- ライフデザインできる
- ライフプランが策定できる
- ライフプランをファイナンシャルプランに具現化できる
- ファイナンシャルプランを達成できる必要な専門スキルを複数磨くことができる
- 磨いたスキルでライフシフト(ワークシフト)できる
自己防衛しながら、自分を進化させるスキルがないと個人ひとりひとりにないと100年を生き抜けないからです。自分の「本性」を理解し、磨き上げたライフスキルを使いこなせることがスタートなのです。
ライフプランが描けるライフデザインの基礎になるライフスキル、ライフプランを現実にする金融資産・無形資産、ファイナンシャルプラン、ライフシフトの因果関係は上の図のようになっています。
これらの問題解決、マインドの拠り所になるのが、唯識です。
唯識はあなたを励まし、元気づけ、6つのスキルをサポートします。
「唯識」は自己否定の因果を解き明かす智慧の宝庫
ライフスキルをはじめ6つのスキルの最大の妨げになるのは、自己否定です。自己否定が厄介なのはただ自分を傷つける行為に留まらず周囲の人、特に自分にとって大切な、あなたを大切にしてくれる人を傷つけることです。しかし安心してください。唯識には自分を整える知恵があります。
精神分析学で有名な心理学者、ジークムント・フロイトは自由に対する人間の本性を次にように語っています。
ほとんどの人間は実のところ自由など求めていない。
なぜなら自由には責任が伴うからである。
みんな責任を負うことを恐れているのだ。
意識とは裏腹な「無意識」の存在は、フロイトによって提唱されました。
無意識は意識よりも深いので自分では気づきにくいのです。
それにしても、なぜ責任を負うことを恐れるのでしょう。自分には果たせないのではないかと不安視するからです。
人のこころとは氷山のようなものであり、海面の上に出ている部分は全体の大きさのわずか7分の1でしかなく、無意識はとても深く、ほとんどが沈んでいて見えないとアプローチしました。
「意識は氷山の一角に過ぎず、その下にはさらなる深い心がある」というフロイトの説は一般に広く認知されています。
フロイトの無意識の提唱は20世紀の大発見といわれていますが、その2600年前に仏教・瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)では意識より深い無意識の存在を説いていたのです。
あなたの構造はこうなっている
「唯識」の教えに則って、あなたの精神世界の構造を説明します。
唯識の意味は「ただ識のみが実在する」という教えからきています。識とは「意識」のことです。
「我思うゆえに我あり」は16~17世紀のフランスの哲学者、デカルトが、著書「方法序説」の中で用いたことばですが、それに通じますね。
「唯識」によって説かれた「識」は全部で8つあり、「八識」と呼ばれています。
「八識」は、表層心(顕在意識)である「六識」と深層心(潜在意識)である「末那識」「阿頼耶識」に分かれています。
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の5つを「前五識(ぜんごしき)」といい、「前五識(ぜんごしき)」を意識が統括しています。
「末那識(まなしき)」と「阿頼耶識(あらやしき)は意識が管理できない領域にあるので、フロイトは顕在意識と潜在意識に分類しました。
「末那識」は物や人、いのちに執着する心のこと。
「末那識」よりさらに深い心が根本心と呼ばれる「阿頼耶識」です。
なにが生きづらさになっているのか
「解っているけれどできない」と悩みを解決します。
ズバリ、阿頼耶識です。
潜在意識にある『阿頼耶識』は、自分では意識できませんが、阿頼耶識は胎内にあるときから、感覚で地上のことを学んでいます。「阿頼耶識」はビッグバンから受け継がれている永遠のいのちといわれていて、「霊魂」と解釈できます。「阿頼耶識」はポジティブな記憶も、ネガティブな記憶も無意識で貯蔵してある根本心の蔵なのです。あなたのありようでどちらも引き出せます。
「末那識」は、自己執着心と言われる煩悩の蔵です。煩悩とは、「身心を悩まし煩わせる心のはたらき」のことで、阿頼耶識にあるネガティブな思いと連携してあなたの奥にあるネガティブな深層心(潜在意識)を表層心(顕在意識)に送っています。深層心と表層心は絶えず交信しているのです。
良い言葉、良いルーティンワークを積極的に使うようにすることでポジティブな行動パターンが繰り返され、自己肯定感が支配的なできごとが増えてきます。
できごとの記憶と共に自己肯定感が深層心(潜在意識)に送り込まれ、深層心(潜在意識)にポジティブな変化が生じます。
卵の殻のように身体を守っている「こころ(霊)」
自分は、次の図のように「阿頼耶識」が卵の殻のように身体(=六識)を守っていると考えます。
「阿頼耶識」にはネガティブな記憶もポジティブな記憶も全部貯蔵されていますが、ポジティブな記憶を引き出すことも日々のありようなのです。
阿頼耶とは、サンスクリット語の「アラヤ」に漢字をあてたもので、本来の意味は「蔵」です。
つまり大切なものを保管している場所と解釈できます。
仏教の代表的なツールであるお経(経典)は、この最も大切な心である「阿頼耶識」の取扱書なのです。
経典をはじめとする教えは「カルマ(業=行為)」の仕組みと扱い方を説明していますが、個人の癖のある「カルマ(業=行為)」への対処方法にもなっています。
まとめ
「人生はエンドレスにワンダフル」とは、あなたがライフプランを達成できることで引き寄せることが実現します。あなたの生き方(=ライフデザイン)を子どもたちが実践で学ぶからです。
ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)の次の言葉に学ぶまでもなく、ライフプランとは愛情そのものだからです。
あらゆるものの中心に愛を置き、愛し愛されることに至上の喜びを見出せたとき、幸福は訪れる。
ライフプランとは愛そのものなのです。
ライフプランを成し遂げるには、ライフデザインの基礎になるライフスキル、ライフプランを現実にする金融資産・無形資産、ファイナンシャルプラン、ライフシフトの因果関係をやり遂げること、つまり生きることを心底愛することに他ならないからです。言い換えると面倒くさいことを全面的に愛するのです。
フロイトが言うように
人生は個人にとっても人類にとっても、等しく耐えがたいものである。
を受け入れることでしか、成し遂げられないティッピングポイントの素敵を開花させるからです。
子どもはそのプロセスを実践を通して、誰もが嫌がる責任を負う幸福を自然に学ぶのです。
ほとんどの人間は実のところ自由など求めていない。
なぜなら自由には責任が伴うからである。
みんな責任を負うことを恐れているのだ。
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