こんにちは、人生100年時代の「マインドフルネス実践講座」のコーチ、ゲンキポリタンです
ラケットが習慣になったあなたに伝えたいこと。
それは「マインドフルネスで自然体になってください。」ということ。
あなたが恋人に会いたくて出かけたとします。
しかし、そこの恋人はいなかった。
あなたは気落ちして、悲しくなり、勉強も、仕事も手につかなくなりました。
こんな場合、どうしたらいいのでしょう?
マインドフルネスな人なら「今日も素敵な日」というでしょう。
あなたも今日から実行できる、その因果関係を説明します。
自分の外側との異常な関係
あるいは、あなたが試験に合格して喜びを分かち合いときに、電話をしてもメールをしても反応がない。
あなたは「つまらない」と感じて、自分なんか大事な存在ではないんだとふてくされ友人と遊びに出かけてしまいました。家に帰ったら、帰りにが遅いので「どうせ、だめだったんだろうと思っていた」と言われてますます機嫌を悪くしてしまった。
この事例といい、先の事例といい、自分のよろこびは、自分以外の人、自分の外側にかかっています。
自分の感情のなりゆきを、自分の外側に任せてしまうと、面倒です。
人は他者を支配(コントロール)できないにもかかわらず、自分の評価を他人に任せると、
自分の真実の物語は開かれないままになります。
マインドフルネスは、自分の真実の物語を開くものです。
ハチ公ならどうしただろう
忠犬ハチ公は、飼い始めた翌年に死去した飼い主の帰りを東京・渋谷駅の前で約10年間、迎えに通った犬です。
ハチ公は秋田犬(あきたいぬ)で、名前はハチ。ハチ公の愛称でも呼ばれています。
渋谷駅ハチ公口前にはハチの銅像が設置されており、渋谷のシンボルになっています。
世界的に観光名所として有名で、休日においてはハチの銅像周辺に外国人も含む群衆が出来るほど。
映画にもなり、国を超えて、ハリウッドでも再映画化されHACHIのタイトルで世界で公開されました。
ハチ公はご主人が亡くなった日から3日間食事をしないで、告別式の日にも駅に行ったといいます。引っ越ししてからも駅に行き続けて、野犬に噛まれたり、心ない人から虐待され、傷ついても、10年間駅に通い、亡くなった時は普段行かない場所で死んでいたといいます。
1年に満たない記憶とその後の10年間。
自分の真実に生きることができた力は、他者の評価から得たものではありません。
噛まれても虐待されても認知を歪めることもなく、自分の内側に生まれる「あるがままに」は、人間と犬の境界を超えた、通じるものがあるように思います。
ハチ公はマインドフルネス
ハチ公に代わって、ハチ公の想いを綴ってみます。
後悔などあろうはずがありません。
自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので。そういうものを早く見つけてほしいなと思います。
それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていける。
向かうことができると思うんですね。
それが見つけられないと壁が出てくると諦めてしまうということがあると思うので、色んなことにトライして、自分に向くか向かないかというより自分が好きなものを見つけてほしいなと思います
あの偉大なイチローさんの言葉をお借りしました。
ご飯が食べられたら、雑念がないので、それだけでマインドフルネスに生きることができます。
マインドフルネスになるので、自分の内側(宇宙)にInToGoします。
決して外側に無関心というわけではなく、他者の評価を気にしないだけです。
他人の評価が気にならないのは、何も求めない楽しみこそ最高の楽しみだからです。
マインドフルネスとは
- あるがままの自分=嘘偽りのない自分であることが癒しのはじまりです
- 注意深く=注意深く自分を観察しないと自分を誤解します。=苦しみに気づくことができなくなります。
- 主体的に積極的に生きる=苦しみには原因があることを知ることができます。
- 状態=苦しみの原因を取り除けることに気づいて取り除けます。
ハチ公は、自分の真実の物語を開いていたのです。
人間関係の構え
人間関係の構えは以下のように4つあります。
-
自分はOK、あなたもOK (自己肯定・他者肯定)
-
自分はOK、あなたはNO (自己肯定・他者否定)
-
自分はNO、あなたはOK (自己否定・他者肯定)
-
自分はNO、あなたもNO (自己否定・他者否定)
この内、否定のないポジティブなものはひとつしかありません。
「自己肯定、他者肯定の自分はOK、あなたもOK」だけです。
つまり大雑把ですが、1/4、25%の人しか自己実現できないという計算です。
実際にはもっと少ないでしょう。
幸福な人間関係を築くには、両者が 自分はOK、あなたもOKの構えでいて、実行していることが条件です。
このような両者が家庭を持つと家族は健全に機能して、こどもも自分はOK、あなたもOKの構えで成長していきます。
もし、不幸にして自己否定、あるいは他者否定の構えを持っていたとしたら、変更するように努力しましょう。パートナーには 自己肯定・他者肯定の構えを持つ人を選ぶのが賢明です。
自己肯定・他者否定、あるいは 自己否定・他者肯定の人をパートナーにすると苦労は絶えず関係もこじれる場合も少なくありません。
否定的な人を見分けることは、さほど難しいことではありません。
彼らがラケットという手法を使うからです。
その根底に認知の歪みがあります。
認知の歪み
認知に歪みには、次のような歪みがあります。
歪みは1歳半から強い信念として育ちます。
成人すると「私の価値観」「信念です」と言う言葉に代わっていきます。
- 全か無か思考(二分法的思考〜all-or-nothing thinking)
- 一般化のしすぎ(overgeneralization)
- 心のフィルター(mental flitar)
- マイナス化思考(プラスの否定〜disqualifying the positive)
- 結論への飛躍(jumping to conclusions)
• 心の読みすぎ
• 先読みの間違い - 拡大解釈(破滅化)と過小評価(magnification and minimization)
- 感情的決め付け(emotional reasoning)
- すべき思考(should statements)
- レッテル貼り(labeling and mislabeling)
- 個人化(責任転嫁〜personalization)
認知の歪みを育てるのに加担しているのが、「ラケット」という手法です。
ラケットは小さな子どもが、親の考え、行動を変えさせるために使う手法なので、見かける機会も多いと思います。
大人では「キッチンドリンカー」もそうですね、
旦那さんに愛情あるコミュニケーションを求めているのに、振り向いてくれないのでマイナスのストロークでもいいから関心がほしいと「キッチンドリンカー」というネガティブな手段に打って出た事例です。レッテル貼り、マイナス化思考、感情的決め付けなど複数の「認知の歪み」が働いています。
アサーティブなコミュニケーションができない背景には幼いころからラケットを使ってきた癖があります。さらに背景には愛着の関係が親子の間に築けなかった歴史が潜んでいます。
これが潜在意識の底に貼りつき、「煩悩(一切の欲望、苦悩)」となって心身にまとわり続けます。
マインドフルネスは、煩悩を焼き尽くします。
ラケット=心のギャング
ラケットはマイナスのストローク(交流)の一種です。
親しみのあるコミュニケーションをすればいいときに、ふさわしくないネガティブな感情を出してきます。
その背景には相手を支配したい願望が潜んでいます。
本人(大人)には習慣化した交流パターンで、そのようにしかできない苦悩があります。
ラケットは精神世界を破壊するギャングのようなものです。
相手を支配する目的で使いますが、そのことが同時に自分を束縛します。
小さなことでも積み重なると人生を狂わせてしまいます。
ラケットは貯金によく似ています。
コツコツ貯めてまとまった金額になったときに引き出します。
ラケットの場合はコツコツと不愉快な感情を貯めて、ある日、不幸を引き出すのです。
嘘もその範囲に入ります。
嘘はネガティブなものですが、目的に違いがあります。
- 相手をだまして利益を得るもの
- 自分を守るためにつくもの
- 相手を守るためにつくもの
- 気を引くためのもの
相手を困らせることで気を引こうとする人がいます。 女性に多い現象です。
しかし、いくら気を引いても、気を引くことは目的ではなく手段でしかないので、願望が達成されるわけではありません。
ラケットの手法
では、何度失敗しても、懲りずに繰り返す、人間関係をこじらせるだけでなく、自己実現の妨害をしている悪循環の背景にある「ラケット」の手法について説明しましょう
ラケットとは、不愉快な感情を使って、相手を思い通りにコントロール(支配)する手法です。
たとえば悲しそうな表情をする、寂しそうな態度をとるなどがそうですが、役者さんが役を演じるときに、気持ちを役に合わせて演じるのに似ています。
無力な子どもだから許される手法
まず、こどもというものが親、保護者が思う以上に彼らは不安を抱いている点を理解しておきましょう。
幼児は無力な存在で、親、保護者の愛情と保護なしには生きていけません。
これは成人がこどもと同じように理解できない心境です。
切羽詰まった状況に置かれた幼児が、愛情と保護を得るために、愛想笑いをするという驚くべき事実に注目しておきましょう。
交渉する力を持たない無力な幼児たちが自分の欲求を満たす手段として使うのが「ラケット」という手法です。
「もしボクが悲しそうにしていると保護する立場にある人は、考えを改めてボクの願いを受け入れてくれるかも知れない」と考えるのです。
親たちは、「もう、仕方がないね」という思いから、イライラしながらも、代わりにやってやるなど、幼児の欲求に応えます。
この瞬間、不快な表情や態度は魔法のおまじないのような役割を果たすのです。
「しめしめ、この手法は効果的だ!楽しくはないが、このやり方は使えるぞ!」と思うようになります。
しかし、ここでは率直でないことに注目しておくことが重要です。
こどもは自主的つまり自分の責任でなにかを要求したのではなく、親・保護者が子どもの気持ちを”察して”親・保護者が自主的にこどもの要求を満たそうとするのです。
おもちゃを買うにしても、こどもが自主的に求めたわけではなく、大人が自主的に買って子どもに与えることになるのです。
つまり、子どもには交渉の手間が省かれるのです。
自分が不機嫌な表情をしていたら、親・保護者が気をきかせて買ってくれる仕組みです。
「万能の神」と誤解してしまう
この仕組みを知った子どもは、自分はなんでも支配(コントロール)できると思い込んでしまいます。(デメリットですが副産物です)
まさしく万能の神というわけです。
幼児はこれが武器になることを体験で学び、困らせることで、願望は実現されることを憶えます。
これほど便利な「弱者の戦法」を以後手放そうとしなくなるのは当然だといえます。
さて、厄介なのは、この手法を成人への過渡期、さらに成人して社会人になっても使ってしまうことです。
困らせることは、自分にとって大切な人の気を引き、支配する手段になると思い込んでいるのです。つまり甘えているのですが、大人の社会では通用しないので、問題が起こってきます。
そうはいっても、この段階まで、率直、誠実、対等、自己責任で交渉する、人間関係を持つことを体験していないので、どのようにしていいのか分からないまま大人社会を生きていくことになります。
ひどい場合には大人対大人の典型的なコミュニケーションの場である、ビジネスの交渉現場に持ち込む者もいます。
彼らが体験で知っているのは、「遠まわし、正直でない、見下すかあるいは自己卑下、責任を負わない」というやり方であり、健全なやり方の真逆なのです。
それを成人しても使う背景には「自分は弱者だ」と決めつけた誤った思い込みがあります。
遠まわし、正直でない、見下すかあるいは自己卑下という態度は、責任を負わないためであり、相手に自主的に行動させるための方法なのです。
これは壁を見て、ひとりさびしく不機嫌にしていたら、相手が勝手に思いなおしてくれたという手法そのままです。
ラケットを使う背景には、強い自己否定感があります。
それほど強い否定感があるなら、努力して改善したらどうだと思いますが、それを遮るのが「認知の歪み」です。
自己否定→認知の歪み→人間関係の構え→自己否定→がループし続け、相手によってノン・アサーティブ(非主張的)またはアグレッシブ(攻撃的)な態度をとります。
見捨てられる不安
子どもというものが親、保護者が思う以上に不安を抱いている点に注目してください。
こどもの不安は見捨てられることに集中しています。
生活力のないこどもにとっては死を意味します。
しかし、大人になったいまは邪魔なもの。
あなたが恋人に会いたくて出かけたとします。
しかし、そこの彼はいなかった。
あなたが恋人に会いたくて出かけたとします。
しかし、そこの恋人はいなかった。
あなたは気落ちして、なんとなく、悲しくなり、勉強も、仕事も手につかなくなりました。
こんな場合、どうしたらいいのでしょう?
マインドフルネスな人なら「今日も素敵な日」というでしょう。
あなたも今日から実行できる、その因果関係を説明します。
境界の外側に「よろこび」を見つけていたあなたはどうしたら良いのでしょう?
あなたは自分と外側の「境界の外側」に自分の「し合わせ」があると思い込んでいませんか。
「境界の外側」にあると思い込んでいるものの正体は「自分の感情」なのです。
他人の感情ではありません。
たとえば恋人の感情だと思い込んでいるものは、自分が創り出した感情です。
自分の感情は自分が創り出したものですよね。
他者はあなたの境界外にいる存在です。なのに他者はどのようにしてあなたの中に入ってくるのでしょう?
あなたが脳の中に入れない限り入れません。あなたが創り出さない限り入れないのです。
マインドフルネスを知れば「苦しい」「つらい」はきれいさっぱり剥がれおちます。
どうでも良いことが、どんどん剥がれて、自分の内側にある自分の真実の物語が開かれます。
心の整理整頓、ゴエスでミニマムライフを実践しましょう。
まとめ
ラケットが習慣になったあなたに伝えたいこと。
それは「マインドフルネスで自然体になってください。」ということ。
自己否定→認知の歪み→人間関係の構え→自己否定→がループし続ける状態にあって、他者はどのようにあなたの中に入り込むことができるでしょうか?このループはすべて自分が創り出したものです。
「境界の外側」にあると思い込んでいるものの正体は「自分の感情」なのです。
他人の感情ではありません。
たとえば恋人の感情だと思い込んでいるものは、自分が創り出した感情です。
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